あの朝へ〈現在地フリーター〉

フリーター1年目(25歳、女性)による日記。

自分として生きたい

ニート脱出のため、まずは基本的な筋力をつけることにした。
それで初めてのスマホを買ったことだし、ポケモンgoをしに行こうと前回の日記で決めてた。

けれどそれがまだ行けてない。



私は負の感情にのめり込みやすい。それを一番に知っていてほしいのは自分。
だから、なるべく距離を置くことにしていた。そうすることで、近所を歩きたくないと思わないですむと思ってた。

けれど、前回の日記を書いてから、まるで他人事のように過ごしている自分に気づいて、こりゃ、また同じ過ちを繰り返しちまったと気づいた。

前回の日記を書いた私は、私ではなかった。
夢みる私だった。
こうあってほしいと思う私。
できもしない計画をたてる私。
“~すべきだ”と考える私。

ここで行動にうつさないといけないのは、その私ではないのに。
また自分の気持ちを置いてきぼりにしてしまってた。

本心でなくちゃ、やる意味がないのに。

何度もこのようなことがあったから、ちゃんと書いておかないと。



私が大学生だったころ、自分が自分でない感覚があった。おかしいと薄々感じてからは、よく手の平を見てた。ごく自然にそうしてた。

人って不思議。
あの手の平には何があったんだろう。
あのとき、自分だと思えるように見てたのか、自分の手だと感じないことを感じていたのか、感受性が落ちていたからわからなかった。
けれどあるとき、ふっと言葉が出た。

“私はどこに行っちゃったんだろう”

そのあたりから、自分が四季を感じられなくなっているとか、空がきれいだとかも思えなくなっているのに気づいた。
高校生だったころは、バカみたいに空の写真ばかり撮ってたのに。

感じ方が鈍くなっていたから、嫌だとか、避けたいって思う気持ちもほとんどなかったけど、あんなのは、なんていうか、他人だった。

歩いていて、動かされているかのような感覚になったりした。
それに恐れて、立ち止まったり、そこからどう一歩を踏み出せばいいのかわからなくなったり。

たぶん、生きづらい私を捨てて、別の人間として生きようとしていたんだと思う。
いやそれとも、親の決めた大学を通うことに、本心だけは背いていられるように作られた私だったのかもしれない。

とにかく、違和感が出始めて、私は苦しんだ。



もう、あの頃みたいにはなりたくない。
自分として生きたい。
切り離さず、重ねた色が複雑になった一本の道の、先頭を進みたい。

とてもめんどくさいけど。

今では自分がどこにいるのか、わかってるつもり。
でもいまいち本心の自分と、この世で生きやすい自分の使い方がわかってない。


なんか長くなっちゃった。
次回の日記で、はっきりとさせよう。