あの朝へ〈現在地フリーター〉

フリーター1年目(25歳、女性)による日記。

自分ではない自分も、自分のうち

“どうして自分が自分でないようになってしまったのか。”

いつもなら踏み込まないことに、踏み込む。
気が乗らない···。
とにかくそれが分からないうちは、先には進めない。自分ではないと感じる自分も、自分には違いないはずなんだ。それをどうして自分じゃないと感じているのか。
その理由を探らないと。



いつから自分ではない自分が出てきたのかは分からないけど、大学3年生のころは、特に意識することになった。

短期大学で就職できず、親に言われるまま、大学へ編入した。
同級生は就職したのに、また私はテストの点数のためだけに勉強をし、2年間をムダにするのかと切迫していた。
こんなことになるなら本当にやりたいことを···と思ったが、この私が辞められるはずがないし、親の理解を得られるはずもないと諦めた。
死にたい気持ちが広がった。

···しかし、死ぬのにも覚悟がいる。おかしな話だ。
生きる覚悟ができない私には、死ぬだけの覚悟を持つこともできなかった。失望した。

そうして大学3年に編入した私は、すぐに“就活”という言葉を聞く羽目になり、重苦しい日々を過ごした。


そして私は、おかしくなった。

じゃんけんで、ずっとグーを突きだしてたり(もちろん負けた)、見えるのに何も見えないと感じていたり、文章を何度も読まないと理解できなかったりした。

善悪がなくなったかのようになったときは、万引きができてしまう状態にあった。無知な子どものように、商品を手に持って外に出てしまえる感じだった。
そんなときに、他人みたいな私が制していた。そいつは善悪を知識としてしか分からない奴で、どうしてかなんて考えようともしない、規則は絶対だと言い張る奴だった。

階段を見れば転げ落ちるイメージがパッと浮かぶ。窓が開いていたらゴミのように自分を投げ捨てるイメージ。
そんなのを、さっきとは別の軽口をたたく他人みたいな私が、
“またそれか。つまらんな、もっとこうしたら···”
とかリアクションして、どうにか平静さを保っているつもりでいた。

自覚はなかったけれど、相当ストレスを抱えていたんだろうと思う。


それら他人みたいな私は、性格がキャラクターのようだった。スタンスが決まってた。
冷静な奴とか、楽しそうにしてる奴、ずばずば言う奴、口が達者な奴など。

あの頃のおかしくなった私を社会的にも生存させるには、複数のキャラクターが必要だったみたいただ。
客観的な私というやつかもしれない。 

(次回へ)