あの朝へ〈現在地フリーター〉

フリーター1年目(25歳、女性)による日記。

社会での立ち位置探し

今の私は、“楽しい”もろくに思えなくなってしまった。それとも、拒んでいるだけだろうか。嫌な感情を殺せば、他の感情も殺すことになる。
不器用だな。

できることなら本当の私で生きたいと思う。
色んな仮面を持っていると、生きていることを見失う。生きづらさが一生続くのは嫌だ。死にたいばかり思いながら、無理して生きるなんてバカらしい。
そんなこと思ってるんだったら、生きやすい生き方を模索する苦しさの方が、まだいいかもしれない。
どうにか現状を受け入れて、どうにか、生きられるようにしたいな。



人は群れの中で、一人一人役割を持って支えあって暮らしてる。今の世の中は広くなって、なかなかそれを目にすることがないから、実感薄いけど。

···中学生の私の役割は、自殺することだった。
そう思ってた。
私がそうすれば、人はもっと優しくなれると思ってた。心ない人達の言動がどれほど狂っているか、周りにも本人にも、私の自殺からその重大さに気づいてほしかった。他人にも人の心があるというのを、思い出してほしかった。

私は自分を抑圧してしまうために、うまく言葉を発することができない。
私が強く非難していると表現する方法は、自殺という行動しかないと思っていた。あの小さな社会で、それができるのは私しかいないと思った。
でも、私はその社会の役割に背いた。

歯車が狂ってしまった。

夢というものに、惑わされた。
自分はなんにでもなれるという幻想を抱いた。

私は、“将来の夢”に答えられない子どもだった。きっと私には無くてよかったんだ。自分にできる求められていることをして、人の役に立てればいい控え目な人間だったのに、自意識過剰な個性信仰に流されてしまった。

私は高望みできるような人間じゃないのに、平凡でいてはいけないって、上へ上へってどこまでも、止まって深みを感じる間もなく上へ。
なんにもならない、薄っぺらい階段が出来上がってた。
一体誰の人生を生きていたんだか。

当然夢の道は与えられなかった。社会は、自己愛者の夢を必要としていない。
目指すべき道を間違えた。私は、社会に必要とされたい人間だった。


でも、死ななくてよかった。極端すぎ。
あの人達は、誰かが先生にちくったみたいで、職員室に呼び出されてた。

私は、人に頼ることを覚えないとな···。