あの朝へ〈現在地フリーター〉

フリーター1年目(25歳、女性)による日記。

ニートに社会的役割があれば、私は楽になれる。

社会は、ニートである私を必要としていない。

“手を貸してください”ってニートに頭下げるくらい切羽詰まってはないようだし、こちらが心配するようなことにもなってない。
いや、それはもしかしたら私が世間知らずなだけかもしれない。でもそれを含めても、自分の人生に受け身だからニート生活が続いてる。

しかしこうしていられるのは、この世の仕組みに組み込まれたことだから、存在できているんじゃないかと思ってみる。実は周りの人に支えられているだけに見えるニートにも、社会を支えている面があるんじゃないか。
もしニートが今の社会で役割を担っていて、機能しているとしたら···そう考えて一つだけ思いついた。

ニートは社会の安全弁なのかもしれない。
人が急に減ったり、大変なことになった時にニートを引っ張り出す。どこにも所属していない人間は、社会が危機に直面した時に、持続させる役割を持っているんじゃないかと。
だからニートニートでいられる社会は平穏。

こう思うと、少しは気が楽になる。災害の知恵を身につけるなんて余裕もでてくる。


ニートである私の問題は、毎日余裕がないこと。せっかく働いてないのに、私は遊べてない。現実逃避しかできない。いつでも自分がニートだって消えることはない。
そうやって、ニートには社会的価値がなくて、クズでお荷物だからって、肩身の狭い思いをしたり、そうでない人間になりたいと思って葛藤したり、反発したり、言われた通りの人間になったり、死にたくなったり、無視してわがままになったりする。

やっとそんな自分に気づいた。いったい何やってんだって、自分を見失ってたことに気づいた。
もう、ニートを否定する人と同じステージから、降りないといけない。そうしないと、受け身の私は変われないんだと思う。
何のために仕事につかなかったのか···私は、ニートになってしまったのではなく、ニートになる必要があったからなったんだ。だからここから進まないといけない。
ニートをクズ扱いしたままでは、自分の人生を掴めないままなんだと思う。それだから、ニートを社会的に認める理由を考え出した。そうでもしなきゃ、ずっと自分を否定しながら、ニートやってることになりそうだから。